大学の学びはこんなに面白い

大学の学びはこんなに面白い

研究?教育紹介

東京工科大学 HOME> 大学の学びはこんなに面白い> 視覚伝達デザインでは、さまざまな社会に目を向け観察する力、そしてコミュニケーションを生み出す表現と提案が大切です

視覚伝達デザインでは、さまざまな社会に目を向け観察する力、そしてコミュニケーションを生み出す表現と提案が大切です

2019年12月20日掲出

デザイン学部 末房 志野 准教授

末房 志野 准教授

 独自のテーマでイラストレーションを中心としたグラフィックデザインに取り組む末房先生。今回は、来春から新しくなるデザイン学部の専攻?コースの話に加え、最近の取り組みなどについてお聞きしました。
前回の掲載はこちらから→/interesting/021542.html

■デザイン学部は、2020年4月から「視覚デザイン専攻(視覚伝達デザインコース/視覚情報デザインコース)」と「工業デザイン専攻(空間演出デザインコース/工業ものづくりデザインコース)」の2専攻4コースという学修体制になります。その中で先生がご担当される専攻?コースについてお聞かせください。

 「視覚デザイン専攻」には「視覚伝達デザインコース」と「視覚情報デザインコース」があり、私は前者の「視覚伝達デザインコース」を担当する予定です。どちらのコースも共通して、日々進歩しているデジタルの活用と、視覚デザイン分野の専門性を学修することで、使う人の気持ちに寄り添うデザインの提案を行うことを主軸においています。自分自身および自分の提案は、社会と結びついていることが大切です。さまざまな社会に目を向け、観察する力が必要です。
 では、それぞれのコースがどう違うのかというと、「視覚伝達デザインコース」は社会における出来事や問題を判りやすく表現、あるいは記録するなど、視覚的に伝達することに貢献し、人と人とのコミュニケーションを生み出すデザインを提案します。社会の様々な問題の背景にある人々の欲求、目標、真意を深く観察し、伝えるためのデザインを追求するコースだと言えます。タイポグラフィ、イラストレーション、映像などの専門知識と技術を学び、広告や書籍、ポスター、Web、デジタルサイネージ、VI(ビジュアル?アイデンティティ)、インフォグラフィックス(データや情報を視覚的に表現したもの)などグラフィックデザインの分野における媒体の特徴やその手法を習得した上で、社会やそこで生きる人たちが抱えている問題を見出して、提案する力をします。問題を見つける視点や表現にオリジナリティや個性は非常に大切ですが、自己の感情や思想の表現を追求する美術的なアプローチとは異なるという点は強調したいところです。
 一方、「視覚情報デザインコース」は、インターネットやSNSなどの情報活動をデザインの対象として、デジタルデバイスのためのコンテンツやアプリケーションの企画?デザインを学びます。大量の情報を整理し分かりやすく伝えるだけでなく、問題発見から使う人の視点に立ったデザインソリューション(デザインによる問題解決)を導くことを目指します。Web、インターラクションデザイン(相互作用)、UI/UX、GUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)構築、3DCGなどの知識と技術を深めた上で、拡張する社会のための視覚デザインの可能性を追求します。

■従来とどのような点が変わるのですか?

 入学の入口から専攻として大きく2つに分けることで、受験生が学びたいことを明確にする必要があるという点が挙げられます。1年生そして2年生の前期の段階までは専攻に関係なく、どちらにも共通するデザインの基礎を身に付けますが、2年生後期に専攻内の2つのコースを両方学び、3年生になる時にどちらか1つのコースを選択する形になります。これまでのデザイン学部では、2年生の後期に専攻を選択することができました。入学時は工業系のデザインを学ぼうとしていた学生も、入学してから学ぶうちに視覚系デザインに変更するというケースが多々ありました。それが受験の入り口から別れていますので、自身が学びたい領域について、よく調べてから受験をする必要があると思います。
 ただ、これらの専攻やコースは学生の学びたいことを制限するものではないように思います。他大学では、学科や専攻が細かく分類されていて、校舎や教室、教員が明確に分かれていることが多いですが、本学部は2年生まではみんな同じ勉強をしますし、同じ校舎やフロアで過ごします。そのような環境だからこそ学生同士の交流が自然と生まれてくるのです。また、教員も同様に、専門を飛び越えて融合しているところがあります。専門領域における、共通点、異なる視点、特性などを共有できたり教え合うことができて、小さな領域にとらわれない豊かさを感じます。
 今、社会はテクノロジーの発展で大きく変わり、そこで生きる人々の身の上に起きていることは、多種多様です。人々つまり、デザインを使う人たちが多種多様なのだから、大学の中も多種多様であることが大切だと思います。お互いを尊重しながらも時に厳しい自由な意見を交換できる環境は、特にデザインという分野では重要なのではないかと考えます。もちろん軸となる自身の専門性があるからこそ、質の高い交流や融合ができるという点は重要です。

■では、先生の最近の研究活動についてお聞かせください。

 今回はポスター展についてお話ししたいと思います。2年に1度開催されるコロラド州立大学美術学部主催の国際的なポスター展(コロラド?インターナショナル?インビテーショナル?ポスター展)があります。一般的なポスター展にあるようなテーマや課題の設定、また、カテゴリー分けはなく、2年間のうちの自身のベストワークを送る仕組みになっています。主催者から招待された各国のグラフィックデザイナーが作品を出展するというものです。1979年から開催されている大変歴史のあるポスター作品のコンペティションですが、私はたまたま出会いがあり、海外のコンペティションの会場で作品を見ていただく機会を経て、運よく2009年から参加させていただいています。全ての出品作品のテーマや視覚的要素などの情報と作者に関するデータは、大学で分析?分類されて、データベース化されています。ポスターはその時代を記録する媒体ですが、誰かが保存しなければ消えていく一枚の紙という特性もありますので、大変意義があるコンペティションだと思っています。
 2013年の第18回大会では「No More Fukushima」という作品でグランプリを、2017年の第20回大会では「Comfort Woman? 1932-1945」という作品で審査員特別賞を受賞しました。「No More Fukushima」は、2011年3月11日の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故を受け、このような事故を二度と起こしてはいけないという思いから制作したものです。ポスター全面に怒っている人の顔を描いてデザインしました。文字で伝えることが難しいものや文字で伝わりづらいものは、イラストレーションのような非言語の方が強く判りやすく、直感的に伝えることができると思います。人の思いやメッセージは特にそうですね。画面一面に顔を描くことで、この事故への怒りや二度と起こさないという強い意志をコンセプトにして制作しました。
 また「Comfort Woman? 1937-1945」は、刺激的なテーマではあるのですが、従軍慰安婦の問題を取り上げたものです。この作品は、もともとマサチューセッツ大学芸術学部グラフィックデザイン科のエリザベス?レズニック教授によって企画された「Women's Rights are Human Rights」という女性の人権をテーマにしたポスター展に出品したものです。女性の人権に関する社会的な問題は、さまざまな差別、暴力など日々の報道や広告などのメディアの中だけでなく、人々の些細な言動や習慣の中にも見られ、私たちの生活の身近にあるものです。また、世界では深刻な差別や暴力によって命まで奪われることなど実に多くの問題があります。調べれば調べるほど、目を背けたくなるような事実が沢山ありますが、私は事実や真実を知り、よく考えることが、どのような制作においても大切だと考えています。繰り返してはならない、または風化させない、他の人たちに伝えるべきことは何かを考えてこのテーマを選びました。この問題は、政治などの面から歴史上、真実が曖昧にされてきて、立場によって見解が異なるなどしていますが、そのようなこととは関係なく、生きる尊厳を無視された、ひとりの人間としての女性が置かれた状況をひとつのビジュアルにまとめました。社会で起きた出来事をポスターという形で記録して、二度と繰り返してはならないという意見を投げかけるものとして制作しました。とはいえ、政治色が絡むテーマなので、評価はされないと思っていましたが、このポスターをコロラド?インターナショナル?インビテーショナル?ポスター展に出品したところ、賞を受賞することができて、共感してくれた審査員がいたことに、大変嬉しく、勇気をもらいました。
 ポスターは、そのビジュアルと文字で、一瞬で相手に伝えられる大きな特徴をもっています。また、誰に何を伝えるのかというコミュニケーションの基本が成立しなければなりません。「誰に」という点では社会に生きている広い人々です。つまり公共性が求められ、社会のためにコミュニケーションが成立していることが土台にあります。このことはポスターだけでなく、ビジュアルコミュケーション、つまりグラフィックデザイン全般に言えることです。

No more Fukushima

No more Fukushima

■こうしたポスター制作の活動が、学生の教育にもつながったそうですね。

 2018年6月に本学の蒲田キャンパスにあるギャラリー鴻で「FOOTB-ALL MIX」展を行いました。32ヵ国のグラフィックデザイナーと学生のポスター展です。これは私のブラジルの友人であるグラフィックデザイナーが、2018年にサッカーの世界大会が行われることを機に、その代表国32ヵ国のグラフィックデザイナーに「Football ~Passionate Game」というテーマでポスターをつくって各国で展示しようと呼びかけたことに始まります。このポスター展では、同テーマで各国の学生にも制作してもらうことになっていました。そこで、日本ではデザイン学部の学生に呼び掛けてみたところ、8名の学生が参加してくれました。
 私は、ポスターというものはとても難しい制作物だと思っています。ただの1枚の紙であり、音も動きもない画面に、ビジュアルと的確な言葉だけで伝えるというのはとても難しい行為なのです。また、ポスターはじっくり鑑賞させるというよりも、一瞬で見てくれる人の心を捕まえなければならないという、メディアとしての特徴があります。ビジュアルも言葉も削ぎ落として、最も伝えなければならないことを絞る必要があります。言ってみれば、俳句みたいなものと言えるでしょうか。何をテーマにするかも難しいし、自分が作品にしたい、発信したいという強い思いがないと制作できないものでもあります。テーマを見つける観察力と情熱が必要になります。
 その当時、大学の授業ではポスターを制作する課題はありませんでした。この展覧会のテーマは非常に抽象的ですし、さらに自分の視点でコンセプトを設定し、ビジュアルを創らなければならないので、参加してくれる学生は、果たしてポスターを作れるのだろうかと半信半疑でした。しかし、結果的には、そのような心配は不要でした。ボールを蹴る、ただそれだけの行為が楽しいという、サッカーを好きな人なら誰もが経験しているであろう原点をコンセプトにして制作をした学生もいれば、ボールを蹴り、シュートしてゴールするということは、最高に気分が高揚し、まるで宇宙にまで飛んで行ってしまうようだという思いをコンセプトにした学生もいました。学生たちに伝えたい、創作したいという情熱と、与えられたテーマの中で何が大切かを考える力があり、それらをひとつのビジュアルにまとめ表現する力があって、嬉しくなりましたね。
 また、このポスター展は私にも学びを与えてくれました。こうした自主制作は、普段の授業で出題する課題とその制作からは見えないもので、学生の主体性による、その学生が持っている自由な個性を発揮できる場として、とても大事だという意見をくださる先生もいました。社会の問題を見つける、社会に提案する力を養うには、まず個人が自由な発想をする場や機会を持っていることが望ましく、そのような課程を経て社会に目を向けることができるのだと思いました。

FOOTB-ALL MIX ~32Posters for a Passionate Game
32カ国のグラフィックデザイナーと学生ポスター展

FOOTB-ALL MIX ~32Posters for a Passionate Game 32カ国のグラフィックデザイナーと学生ポスター展

■最後に受験生?高校生へのメッセージをお願いします。

 視覚伝達デザインという軸で話すと、大事になるのは観察力、豊かな情緒、集中力、忍耐力、そしてチャレンジする勇気です。私のこれまでの教員経験上、これらの力を持っている学生には共通点があります。それは、ある程度の学力があることです。例えば、教科でいえば、数学や科学が得意、または、国語や英語などの方が得意という人がいると思いますが、そのどちらでも構わないので、高い学力を身に付けてください。
 学力というのは単に点数ということではなく、学ぶ姿勢と考える力という意味です。複雑な物事を周りの因果関係や相関関係を考えながら整理し、原因や結果を分析する力という力とも言えるかもしれません。国語などは、人の気持ちや自分の考えを言語化する力を養うものですが、これにも論理的な思考が必要になります。ですから、いわゆる理数系でも文系でもどちらでも良いので、物事を論理的に考える力を持っていて欲しいです。それは目の前の勉強で養えるものです。自分が興味のある自由な活動と並行して、日々の教科の勉強に取り組み、物事をよく考える力を養ってください。さまざまな社会に目を向け観察する力、そしてコミュニケーションを生み出す表現と提案する力を学ぶ際の基礎となります。

■デザイン学部:
/gakubu/design/index.html

?次回は1月10日に配信予定です