大学は社会に出て自分をアップデートし続けるための“学ぶ筋肉”を付けるところ
2022年7月22日掲出
メディア学部 メディアコンテンツコース 三上浩司 教授
株式会社Thirdverse 取締役COO 伴哲(2003年 メディア学部 卒業)
1999年、創設されたばかりのメディア学部に第一期生として入学した伴さん。卒業後はソニー?コンピュータエンタテインメント(現ソニー?インタラクティブエンタテインメント)やGoogleで経験を積み、現在はVRメタバースを実現しようと取り組むスタートアップ企業で活躍されています。伴さんの在学時代をよく知る三上先生とともに、当時の思い出や学びについて語っていただきました。
■まずは当時を振り返って、印象に残っていることなどを教えてください。
三上先生(以下、三上):伴君は、メディア学部の一期生なんですよね。当時、メディア学部は日本初のメディアを専門に扱う学部として誕生したところで、具体的なカリキュラムはありましたが、学生が新しい学問に対して積極的に取り組んでこそ、学部の設置理念が実現するという状況でした。その中で教員が新しいプロジェクトを提案したときに、それが何につながるか、何の役立つのかといったことと関係なく、「やりたい!」と手を挙げて積極的に参加してくれる学生だったという印象が一番強く残っています。伴氏(以下、伴):部自体ができたばかりで、まだ何もなかったし、単純に栃木の田舎から出てきて、高い学費を払ってもらっている身だったので何かしなきゃということで、割と何にでも一生懸命、取り組んでいた覚えがあります。でも勉強をしていたというよりは、本当に好きでやっていたという感じですね。
三上:伴君と初めて会ったのは、確か「アクアプロジェクト」だったよね? 3D技術で仮想水族館を再現するプロジェクトで、水槽内で泳ぐ魚やその生息環境、生態系などのシミュレーションモデルの研究開発をして、それを活用した学習コンテンツをつくろうと学生たちと取り組んでいました。当初は葛西臨海水族園と共同で進めていて、2004年度からは新江ノ島水族館と一緒に取り組むようになったんですよ。
伴:僕が関わっていたのは、葛西臨海水族園と一緒にやっていた頃ですね。単位にはならなかったけど、自主的に加わって楽しんでやっていた覚えがあります。
三上:そうそう、授業じゃないから単位にならなかったんだよね。でも結果的に、それが学生の学びにすごくつながっていったので、単位として認めようということで、後に「プロジェクト演習」が生まれました。そういう意味では、伴君たちの活動を見て、教員側がこういう活動をカリキュラムに組み込もうとなったわけだから、第一期生はカリキュラムを一緒につくってきた立役者だと言えるんですよ。
アクアプロジェクト:参考イメージ
■大学での学びや体験を通して、どんなものを得たと思いますか?
伴:僕が「アクアプロジェクト」に参加した最初の動機は、クリエイティブ?ラボという学内施設にある色々なCGツールを使えたからだったと思います。クリエイティブ?ラボって今もあるんですか?三上:クリエイティブ?ラボという組織自体は残っていないけど、機能としては継続していています。今は片柳研究所の4階にあるコンテンツテクノロジーセンターがそれに該当していて、そこはクリエイティブ?ラボの発展形だと言えますね。そこへ行けば、色々なデジタルツールを自由に使って研究できるので。
伴:今は無料で使えるCGツールが世の中にたくさんありますが、当時は全然なかったんです。それに学生が個人で買うには、ハイスペックのパソコンも、CGソフトも値段が高くて。でもクリエイティブ?ラボに行けば設備が揃っていて、そこのプロジェクトに協力するとパソコンも自由に使えて、しかも教えてくれる人もいるらしいと聞いて、これは行くしかないなと思ったんですよ(笑)。
三上:当時、クリエイティブ?ラボにあったCG制作機器は、一式500万円くらいするものでしたからね。
伴:とても学生の力だけでは手に入れられるようなものじゃなかったですよね。学校の授業で使う学生用ノートパソコンもあったけど、本格的なCGソフトを使ってレンダリングまでするとなると、さすがに動かないので、学内に設備環境が整っていたことはありがたかったです。いつでもそういう環境を利用してツールを使えるということは、東京工科大学の売りでもあったと思います。
三上:メディア学部の創設に関わった先生方には、メディアと名の付く学部をつくるには、コンテンツそのものをきちんと自分たちでつくれるようなスタジオやプロダクション機能を持っていないと、表面的な研究しかできないし、技術革新もできないという考えがありました。それでプロダクションに負けないような設備を揃えて、そこに実践的なスタッフを入れて、学生たちと一緒にプロジェクトをまわすという目的のクリエイティブ?ラボがつくられたんですよ。
伴:そのおかげでプロジェクトを通じて、CGソフトの使い方を覚えることができたという面も大きかったように思います。
三上:結局、授業内だけでできることには限りがあって、カバーしきれないところがありますからね。それに先生と学生だけの関係ではなく、一緒にプロジェクトを動かすスタッフという存在も大事だということで、そういう仕組みをクリエイティブ?ラボに用意して、学生にプロジェクトにどんどん参加してもらい、学んでもらう形をつくったんです。
伴:僕自身、「アクアプロジェクト」をはじめ、カリキュラム以外の活動で思い出に残っていることの方が多いですからね。それこそメディア学部では、基礎的なことから教養まで色々な科目を取ったけど、一番はやっぱりモノづくりを経験できたことが、今も仕事に活きていると感じています。あのとき覚えたCGソフトの使い方は、今でも覚えていますから(笑)。
実際にモノをつくって、完成させたという経験もありますし、圧倒的にそこにかけた時間が一番長いんですよ。授業で扱っていない3Dソフトを使うのに、本を読んで勉強したり、試行錯誤したりしていたので。部活でバドミントン部にも入っていましたが、部活よりも授業よりもCGソフトを使って何かつくったり、「アクアプロジェクト」などに参加したりすることに時間を一番多く費やしたように思います。
三上:メディア学部にはそんなふうに、学生が自ら色々なプロジェクトに関わって学んでいくという風土がありますが、それを最初につくってくれたのは伴君たちの世代です。先輩たちが良い結果を残してくれたから、それがメディア学部の当たり前だよと学生に話すことで、後輩たちもチャレンジしてくれています。チャレンジしたからと言って思い通りにいくとは限らないけど、必ず何らかの結果は返ってくるので、後輩たちも同じように繰り返しチャレンジすることが当然のことになっていくんですよ。そういうことがメディア学部に良い形で伝統として受け継がれていると思います。 それにこうしたプロジェクトで活躍した学生たちは、伴君を含め、社会に出てからみんな活躍しています。だから、すごく良い流れをつくれたなと思うんです。
伴:周りには結構そういう学生がいましたね。当時、400人近い学生がいたと思いますが、大学時代の同期とは今も同じ業界でつながっている人もいますし、業界最前線で活躍している人も多いです。
■では、当時の就職活動について、お聞かせください。
伴:僕は最初にソニー?コンピュータエンタテインメント(現ソニー?インタラクティブエンタテインメント)に入って、PlayStation事業のゲームプロデューサーとして15年ほど在籍していました。その後、Googleで2年ほど事業開発などを手掛けて、2020年にThirdverseに参加しました。就職活動をしていた頃は、就職氷河期真っただ中で、とにかくたくさん受けては落ちるという感じでしたね。三上:私は伴君が所属していた金子満先生の研究室の助手みたいな形で、研究室の学生の就職活動も見ていて。ゼミのときに色んな話を学生から聞きながら相談に乗るといったことをしていました。伴君も最初の頃はなかなかうまくいかなかったけど、途中でガラリと変わったよね。
伴:そうですね、結局、何十社受けたかわからないくらい受けたんですが、最初は全然受からなくて。最終面接で落ちるというのを繰り返していました。
三上:確か最終面接で7連敗くらいしていたよね。
伴:そうなんですよ。なぜかわからないけど、ずっと最終の社長の面談で落ちるというのが続いていて。
三上:そのときに、社長は給料をもらって働いている人とは違う感覚を持っていて、人事とは選んでいる基準が違うから、最終まで残ったことは基本的な社会人としての素養が備わっている証だから気にしなくていいんじゃないか、という話をしたことを覚えています。そのうち決まるよなんて話していたら、その後、すぐに1社、通ったんじゃなかったっけ?
伴:そうです、Web関連の大きい企業で、Webディレクターとして内定しました。そこで決めても良かったんですが、途中からあちこち受けるのが若干、楽しくなってきた面があって(笑)。ベンチャー企業や人材紹介会社、CM制作会社など、本当に色々と受けましたね。
三上:この時期くらいしか色んな会社の内情を知る機会がないから、どんどん受けて、大人と話してみるのも楽しいよといったことを話した気がします。
伴:最初の内定をもらってからは割と勝率が上がって、いくつか内定を頂けるようになって。最終的に受かったのが、当時のソニー?コンピュータエンタテインメントで、一番行きたいと思っていたゲーム系だったので、結局、そこに決めました。
三上:基本的に伴君は自分からどんどん動く学生だったので、私のすることと言えば、モチベーションが下がらないようにすることくらいでした。そのための雑談をたくさんしたよね。
伴:しましたね。雑談を通して、色々と相談に乗って頂いて。結論が出ない悩みなんかでも三上さんには話しやすくて、相談しやすかったです。
僕としては、就活はとりあえずできることを全部しようと思っていて。それこそ第一志望の会社で勝負するときに、面接の経験が一回もない状態で受けるなんて怖くてしょうがなかったので、それまでに何社も受けるということをしました。色んなパターンを試しては落ちながら、何で落ちるんだろう?と考えるということを繰り返していて。周りには好きなところしか行かない、受けないっていう学生もいたけど、僕は受かりたいところに受かるために練習をしないと、と思っているタイプでしたね。
三上:今の学生にも聞かせたい話です(笑)。
伴:練習量が足りないのに、いきなりホームランを打とうというのは認識が甘いと思っていたんです。単純に今の自分の持っている武器では受かるわけがないという前提で、色んなことを試さないといけませんでした。自分で片っ端から受けてみたうえで、見えてくるものがあれば改善するみたいなことをしていて。質がないから量をこなして、だんだん質に変えていくという感じの就活でしたね。
三上:自分の状況を判断するのが、すごく上手だったよね。
伴:世渡り上手に頑張りました(笑)。正直、自分のスキルに自信がなかったし、新しい学部で就職実績がないからOB訪問もできないし。このまま就職できなくて、実家に帰るのは嫌だなと思って。せっかく東京に出てきたのだから意地でも食らいつかないと、という危機感はありました。
三上:そういう伴君の判断力や客観性は、仕事でも発揮されているんじゃないかな。
伴:そうですね。ソニーにいた頃、色々なプロジェクトを経験しましたが、今はすごく順調でも、戦略を変えないと数年後には取り残されるぞというところは、いつもかなり気にしていました。常に社外の人や市場環境を見渡しながら、成果が出ていることであったとしても、今がピークだろうと思って、次の戦略を準備するということをしてきました。
特にエンタメ産業には絶対にピークがあって、今は流行っていても、1年後には急にライバルが出てきて廃れることは多々あります。僕はプロデューサーという立場だったので、一番そういうことに対して感度が高くないと、プロジェクトメンバー全員が犠牲になってしまいます。だから、自分のプロジェクトの状況だけでなく、市場環境や数年後を予想したうえで、今、どんな力を得ておくべきか、どのタイミングで飛び出すべきか、ということを常に客観視して準備をしてきました。何かチャンスが来たときに始めるのではなく、チャンスが来たときには準備が整っているくらいでないと、流れは掴めませんからね。
三上:在学中もチャレンジできるならしようというスタンスでしたよね。そのチャレンジ自体の効率や期待できる結果が得られるかということよりも、できることはやってみようと。その中から何かを持ち帰るタイプの学生だったと思います。取り組んだものの中から自分のためになるものをいつも蓄えながら、少しずつ自分の能力を上げていっている印象でした。卒業研究もそんな感じだったよね。
伴:正直、卒業研究の内容はあんまり覚えていないんですが…。
三上:20年も前のことだからね(笑)。私はよく覚えていて、映画などのCG映像をつくるとき、事前に画面設計などをラフなCGで設計して、それを元に本番用のデータをつくっていくんですが、そのラフで作った試験データの位置情報やカメラの情報を他のソフトウェアに互換性のある形で渡せるものがなくて、どうしてもワークフローが分断されていたんです。そういう課題を改善するための、汎用的な変換プログラムを書いてワークフローをつなげ、最終的に卒論にしていました。本人はあまり得意じゃないと言いつつも、やり始めてくれて、自分から方法を学んでいきながら、ゼミでも毎回ちゃんと発表をしていましたよ。
伴:就活ばかりしていて、卒業論文を書き出すのは遅かったんですが、なぜか書き上げたのが早くて、たぶんメディア学部で最初に卒論を提出した第一号は僕だと思います。
三上:そうそう、第一号だよ。結局、毎回きちんとゼミに来て、うまくいっていることと、うまくいっていないことを報告したり相談したりできる学生は、卒業研究でも成功しています。こちらも状況を把握しやすいですからね。
■伴さんの今のお仕事や今後の展望を教えてください。
伴:今、僕がいるThirdverseでは、VRを使ったゲームをきっかけにメタバース上に第三の居場所(サードプレイス)を実現しようと取り組んでいます。まだVR自体、市場成長中のもので、理想とする市場環境やハードウェアのスペックなどが揃うのは、少し先ではありますが、そこへ向けての布石を今から打っているところです。僕らが実現しようと考えているのは、わかりやすいところでは「ソードアート?オンライン」や「レディープレイヤー1」のような仮想世界の中で、第二の生活ができるというものです。例えば、「ソードアート?オンライン」でゲームをしていると、リアルの世界にいる周りの人から見れば、その人は単にゲームをしているだけと思われますよね。ただ、もしその仮想空間の中で、現実空間の貨幣が稼げるようになれば、一見、遊んでいるようで、実際にはそこで仕事をして現金を稼いでいるので、ゲームをして遊んでいるだけではなくなります。その人は仮想空間の中にいて、実際に仕事をすることもできるし、第二の人格を持って生きることもできます。
例えば、「マインクラフト」ですごいお城をつくった人が、そのお城をNFTのような発行数をブロックチェーンで管理できるものにして、売ることができれば、「マインクラフト」内でお城をつくることで生活貨幣が稼げる、つまりそれは仕事になると言えます。そして、その人は「マインクラフト」の中ではクラフターとして周りの人から見られるようになります。つまり、そこに第二の人格が生まれてくるわけです。でも、そこでお金を稼ぐことができなければ、ただゲームで遊んでいる人ということになってしまいます。それが今の段階です。
そういう世界を実現するのに必要となるのが、VRとWeb3の技術だということで、弊社ではそれら両方の開発を手掛けています。今は、メタバースやブロックチェーンといった言葉がよく聞かれるようになってきましたが、そんなふうに流行る前から僕らはこうした技術が必ず来ると話していて。その当時は、周りの反応も薄い印象でしたが、最近はメタバースやブロックチェーンに関する講演依頼がすごく増えてきています。
三上:学生にも常にそういう話をしています。メタバースにおいては、これまでに歴史があって、色々なことが挑戦されてきました。その中で技術の進歩があって少し先に進んで、停滞する時期があって、また新しいサービスが来て…という変遷があるわけです。中には「VRは全然盛り上がっていない」とか「メタバースは流行らない」といったことを言う人もいますが、そうではなく、常に何か変化している状況にあって少しずつ発展してきています。単に伸びるときと停滞するときがあるだけなんですよね。それにその分野に関連するところにいる人たちは、いつも発展するために仕事をしているわけですから、自分たちの挑戦が成功すればメタバースやVRは伸びるものになるわけです。
伴:YouTubeやインスタグラムなどのインフルエンサーもそうですよね。今は、それだけで生活できる人がいますが、少し前まではそれで生活できるなんて誰も想像していなかったはずです。YouTubeは違法動画が上がっていて危ないなんてことを言われていた時期もあったのに、今ではテレビタレントよりYouTuberが稼ぐ時代になっています。それにはやはり転換期があって、YouTubeの中で実際にお金を稼ぐためのプログラムやユーザーの巻き込み方などが出来上がってきて、ただ動画をアップしてみんなで見るだけのサイトではないものに生まれ変わった瞬間に、新しい世界になったわけです。それがVRやメタバースの世界でも起きる時代が絶対にやって来ると思っています。
三上:メディア学部の学生たちにも、今のメタバースやVRをどうしたらさらに高度化できるかを研究テーマのひとつとして取り組んでもらいたいし、彼らがそれを実現して、商用サービス化や製品化できたときには、VRやメタバースの価値はもう一段階上がっていくだろうと思います。そういうことを繰り返していって、ある一定の水準に達したときに、また次のパラダイムが見えてきます。理工系大学の役目は、そういうところにあるんですよね。当然、ビジネスではかけた時間とリターンを考える必要がありますが、大学の研究は可能性があれば、学生が学びの中でチャレンジできます。できあがったものはプロトタイプかもしれませんが、そこで得たものを社会人になって仕事に活かすことができれば、それが社会を変革する力になっていくはずです。そういう新しいパラダイムにシフトするための考え方を学んでもらうことが、大学の一番の役目だろうと思っています。
メディア学部では、これからメタバース周辺の研究開発に、学部だけでなく系列の専門学校も含めて、大々的に着手していこうと進めているところなので、ぜひ伴君にアドバイスをいただくなど、ご一緒したいと思っています。
伴:ぜひ、声をかけてください。
■最後に受験生?高校生へのメッセージをお願いします。
伴:大学の4年間で学んだことは、卒業後、どんどん新しい情報に上書きされていきます。例えば、僕が学んだ20年前の技術は、今は全く違うものになっていたり、トレンドが変わったりしているので、正直、役立っているとは言えません。ですが、大学時代に取り組んだことやそこで得た考え方をベースに経験をプラスしながら、自分をアップデートし、なおかつ新しい考え方を学んでいく、“学ぶ筋肉”みたいなものを大学で身に付けられたことは、とてもよかったと思います。結局、大学卒業後の人生の方が圧倒的に長いわけですから、大学は学び続けるための基礎学力やマインドセットを身に付けるところだと考えるとよいのではないでしょうか。決して教科書だけで学習が完結するわけではないので、学び方を先生や授業、同級生たちから学んでください。それを大学卒業後にどうつなげるかという方法論やビジョンを、在学中に見つけられるとよいのではないかと思います。三上: メディア学部のコンテンツコースでは、創設時に輩出したい人材像を、プロデューサーやディレクター、チームのマネジャーや産業界にイノベーティブなことを与える人と定め、そこを目指してきました。学部ができて20年以上経った今、それを卒業生たちがひとつひとつ具現化してくれています。その結果、この学部に来てほしい学生像、教育内容、輩出したい人材と、その先にある産業界をまわす重要な人になるというところがつながりました。これは非常に大きな成果だと思っています。おかげで本学部には、新しいものに積極的に挑戦したり、効率性や成果よりも自分が一生懸命になれることに取り組んだりする学生が集まる環境になってきています。
そういう点から考えても、大学では学びたいものを学ぶことが一番だと思います。将来、これが使えるかもとか就職に役立つかもといった考え方もありますが、自分はこの分野を学びたいというものがあれば、迷わずそこへ進んでもらいたいです。大学の学びの中で色々な経験を積み、自分が知りたいと思った学問が身についてくるに従って、その学問だけでなく、それを活かしてどんなことができるかといった、周辺も含む色々なものが見えてきます。また、学びたいものを学ぶのであれば、授業時間以外にも当たり前のように自分の時間をその学びに費やしてください。成績のための勉強ではなく、自分の中に好きなことと関連する知識や知恵を蓄えるために取り組むことを積極的にしてほしいのです。もしまだ、そこまで学びたいものが見つかっていないという人は、それを見つけるために、大学内にある様々な学びにチャレンジしてみてください。
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